イ. |
ライオンズ必携・・・・前身「ライオンズ手帳」。1958年4月、岡山における第4回302地区年次大会においてその作成が決議された。
1963年「ライオンズ必携」初版完成、「会計必携」は1964年。そのとき同時に金沢クラブ製作のライオン帽を正式のクラブ帽とすることも採択された。 |
ロ. |
「ライオン誌」
英語版:ライオンズ協会誕生の翌1918年11月に世界で最初の「ライオン誌」が発行された。そのときから THE LION
(Sがない)の表題が用いられ、その後同じ題字で各国語版が発行されている。
日本語版:1958年7月にL.豊田治助(東京LC)の担当で増刊された。当時、クラブ数75、会員数3,887名で、創刊号の発行部数は4,500部であった。現在、2004年4月号の発行部数は131,700部である。 |
ハ. |
日本ライオンズからの初めての国際大会出席
1956年6月27日〜30日マイアミにおいて開催された第39回国際大会に出席した302地区第3代ガバナーL.進藤竹次郎がその人である。その際、イ項記載のライオン帽の原形を持ち帰り、大阪LCのクリスマス・パーティに紙で作ってかぶったといわれる。 |
ニ. |
初のアクティビティ
日本で初めてライオンズクラブが誕生した1952-53のアクティビティは2件、4万円(東京LCが1952年10月、赤い羽根運動へ1万円、1953年に神戸LCが神戸YMCAと朝日新聞社共催の肢体不自由児余島夏期キャンプに協力のため3万円)である。
ちなみに2002-2003年度のアクティビティは69,579件、64億円である。 |
ホ. |
「ライオンズの誓い」
1959年、302-E地区(ガバナー森 勇・名古屋LC)において、「ライオンズとはなんぞや」ということを、一般の人々にも直截的にズバリ理解できるものを、という声が多くのクラブから提案された。この提案が取り上げられ、当時の302-E地区PR委員長L.市原永三(名古屋LC)を中心に原案が検討され、1960年5月、新潟における第6回302-E地区年次大会で採択された。
1980年に335複合地区年次大会、また1986年に330複合地区年次大会は、国際協会の目的中「寛容の精神」が「相互理解の精神」に変更されたのを理由に一部修正を行ったが、これに続いて、他の複合地区でも次第に修正が行われ、現在は冒頭に記載したとおり、すべての複合地区で「相互理解の精神」に改められている。 |
ヘ. |
「ウイ・サーブ」
国際協会は、応募期限を1953年の国際大会までとして、「ライオニズムを如実に物語り、各国語に翻訳可能で5語以内」という条件でモットーのコンテストを行った。当年度応募者は約800名で少なかったため1年延長し、約6千通のなかから「ウイ・サーブ」が選ばれた。同じモットーが11名ものライオンから寄せられたが、最も早く(1953年2月13日)到着した、カナダのオンタリオ州フォントヒルのL.D.A.スチブンソンが、このコンテストの入賞者となった。 |
ト. |
白い杖
万国共通のあの白い盲人杖は、ライオンズの奉仕の産物である。
1930年、L.ジョージ・A.ボナム(当時イリノイ州ピオリアLC会長)は、ある日繁華街を歩いているとき、一人の盲人が交通ラッシュの道路を横断しようとして、立ち往生しているのを目撃した。ボナムは「自分は目が不自由なのだと、ドライバーに知らせる方法が何かあるはずだ・・・」と、白い杖を思いついた。クラブはこれを承認、白杖を作り、ピオリア市内の盲人に無料で贈った。市議会では、白杖の持ち主に交差点での優先権を認める条例を可決した。 |
チ. |
1961年、YE事業開始(詳細はYEの項参照)。 |
リ. |
「ライオンズ・デー」
1962年、日本の各地区大会において、10月8日(1917年の第1回国際大会の開会日)を「ライオンズ・デー」とすることが決議された。さらに、1970年7月、当時のマッカロー国際会長は就任あいさつの中で、これを「世界ライオンズ奉仕デー(World
Lions Service Day)」として実施することを訴えた。
この日は、単に奉仕を記念する日というだけでなく、ライオニズムを履行する日である。
また、会員が、自分の所属するクラブの存在する理由と、何がライオンズを独特なものにしているかを改めて考える機会であると同時に、地域社会の人々に対して、ライオンズクラブは真に実行派の人々の集まりであるということを実証するのに最適な機会でもある。 |
ヌ. |
差別の徹廃
@ |
人種の制限徹廃
「成年男子」という制限は、ライオンズ創立以来の規定であったが、1926年までは、さらに、「ただし、白人に限る」とあった。当時、ハワイ、ホノルル在住の黒川直也という一人の日本人に、どうした経緯からか、カリフォルニア・ロングビーチLCから新クラブ結成の働きかけが、東洋人である彼のもとへきた。「白人に限る」ということが、彼の義狹心をかり立て、獅子奮尽の努力の結果、1926年(昭和元年)、第10回国際大会(サンフランシスコ)で国際会則を改正させ、同年ホノルルLCの結成に漕ぎつけた。有色人種を擁する世界最初のクラブである。 |
A |
性別の制限徹廃
国際婦人年を契機に、女性の地位向上の呼び声が各界各層にわたってめざましく、各国のライオネスの間にライオンと同等に扱ってほしいという声が高まり、アメリカでは1987年、青年会議所もロータリークラブも相次いで女性会員を認めるべく、最高裁判所の決定をみた。
ライオンズクラブにおいても、創立以来の「成年男子」の男子という語句を削除する改正案が1986年のニューオーリンズ国際大会に提案されたが、賛成3,526票、反対2,446票で、改正に必要な3分の2を得られず否決された。しかし、翌1987年には台北の国際大会に再提案され、日本からの多数の代議員の投票によって「男子」という文字が削除された。 |
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ル. |
日本ライオンズとアイバンク運動
日本ライオンズがアイバンク運動を始めたのは岡山県においてである。1961年7月、当時、岡山LCの会員で、医師であり知事であった故L.三木行治は「耳には音を、目には光を」のスローガンを掲げ、知事自ら献眼登録第1号となって県民の前に範を示し、強力な運動を全県下に展開したのであった。その後、多数のライオンズクラブがこれに共鳴し、アイバンク運動を推進している。 |
ヲ. |
イアーバンクの設立
1980年11月、335複合地区においてイアーバンクが設立された。これは、ライナム国際会長(1979-80)の要請ににこたえて、335-A地区の八木米次元ガバナーの献身的努力と、行政および兵庫医大の協力によって実現した、聴力回復のための日本で唯一の耳の銀行で、今日まで主として335複合地区のアクティビティとして、近畿地方を中心として広く東北地方から沖縄に至るまで、通称「愛のこだまバンク」の恩恵を得られた方は、609例(2001年12月末現在)を数えている。
「兵庫イアーバンク」という名称は、設立時に兵庫県からの資金協力を受け、許可も兵庫県となったので、そのように付けられたものである。
難聴で悩んでいる方は直接下記所在地に相談されたい。また、善意の提供をされる方も郵便・電話で、または所在地の窓口まで、申込書やパンフレットの送付を依頼されたい。
ライオンズクラブや個人としてのアクティビティも受け付けているので、ご協力をお願いする次第である。
〒663-8131 西宮市武庫川町1-1 兵庫医科大学内
財団法人 愛のこだまイアーバンク
電話(0798)45-6490 FAx(0798)41-8425
電子メール earbank@poem.ocn.ne.jp
ホームページ http://www2.ocn.ne.jp/~earbank/ |
ワ. |
使用済み切手のアクティビティ
収集ボランティアの一つである使用済み切手収集は、多くのクラブがアクティビティとして採り上げ、各種施設・団体に送っている。これらの切手は換金された後、盲・老人施設の拡充や開発途上国への医療従事者派遣に、あるいは切手の分類・整理作業自体を障害者のリハビリテーションに、といった具合にさまざまな形で役立てられている。日本における使用済み切手の主な受け入れ先は下記のとおりであが、使用済み切手より、未使用切手、記念切手、外国切手または書き損じハガキ、使用済みテレフォンカードを歓迎する受け入れ先もある。
◎社会福祉法人 聖明福祉協会・聖明園
〒198-8531 東京都青梅市根ケ布2-722 電話(0428)24-5700 FAx(0428)24-3871
◎社団法人 日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-23 電話(03)3208-2416 FAx(03)3232-6922
〒530-0013 大阪市北区茶屋町2-30 大阪聖パウロ教会3階 電話(06)6359-7277 FAx(06)6359-7278
◎社会福祉法人 復生あせび会
〒113-0021 東京都文京区本駒込6-5-19-102 電話(03)3943-7008 FAx(03)3944-6460
◎財団法人 家族計画国際協力財団(ジョイセフ)
〒113-0021 東京都新宿区市谷田町1-10 保険会館新館6階 電話(03)3268-5875 FAx(03)3235-9774
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